気にし過ぎるのは周りに迷惑をかけるぞ

私の考え

お疲れ様です。霧島みやこです。

今日は「周囲の目を気にし過ぎると周りに迷惑を掛けますよ」ってことを、私の実体験をもとにお話ししたいと思います。

書籍やインターネットで、人の目を気にする原因や対処法などが書かれている事はありますが、気にする人間が1人でもいると、周囲にどんな影響を与えるのか?という部分はあまり見かけないように感じます。
(周囲にどんな影響を与えるか?って視点で考えてる時点で周り気にしてるじゃん!と思いますが、そこはお許し下さい)

私自身、幼少期から20代まで「気にしぃのMAXレベルまで達している面倒くさい人間」でした。

気にしぃ人間が引き起こした迷惑な出来事3選

気にし過ぎる性格は、時に自分だけではなく、周りを悪い方向に巻き込んでしまう事があります。私の痛々しい過去をお話するので、どうかこの記事をご覧いたいただく皆様は、私と同じような経験はしないでください。

気にし過ぎて床屋さんに激突事件

これは私が小学5年生の頃に起きた事件です。

当時私はソフトテニスのスポーツクラブに所属しており、大きな坂の上にある体育館までママチャリを漕いでテニスの練習に向かっていました。

練習が終わり、友達と大きな坂を下っている最中、
私のママチャリから「キィィィー、キキキィィィ」と高くて大きい音が鳴り響きました。
ブレーキをするたびに、高い音が周囲に鳴り響くものだから、私は”近所迷惑になって怒られる”と思い、ブレーキを使わず大きな坂を勢いよく下っていきました。


あともう少しで坂を下れる…。
周囲に迷惑を掛けないように、ブレーキは最小限にしておこう。

そんな事を考えながらママチャリを走らせていると、



ガチャーーーーン!!

気付いた時にはすでに遅し。
私は坂を下ったところにある床屋さんのガラス扉を突き破っていました。

幸い、大きなケガには繋がりませんでしたが、近隣住民の方にはひどく心配され、一緒に帰宅していた友達のご両親に病院に連れてってもらう事態になりました。

ブレーキ音を気にしたばかりに、もっと迷惑なことを引き起こしてしまったのです。
私ってどんだけアホなんだ…。

深刻に考えすぎだろ事件

大学時代の話です。私はサークルの部長でした。

人前に立つような実力が皆無だった私ですが、誰も部長をやりたがらないという理由から、NO!と強く断ることが出来ず、部長を引き受けてしまったのです。

案の定、部員たちの面倒を見ることや、サークル活動の活性化を促進するような行動が出来ず、サークル内の活気が徐々になくなっていきました。

他の部員にサポートを求めることも上手くできず、一人で抱え込み、勝手に落ち込む。

次第に部員たちの心は離れて行って、退部する人たちが続出してしまいました。
その時はひどく落ち込みました。

同級生から「大丈夫?」と声を掛けられても、一人にして欲しいと突き放してしまい、たった一人で塞ぎこんでいました。

自分のせいだ。
自分が不甲斐ないから人が付いてこなかったんだ。

と繰り返し、自分を責めました。

今であれば「起きてしまった事は仕方ない。次にどうすべきか考えればいいだけ」と気持ちを切り替えられるのですが、当時は目の前のショッキングな出来事に落ち込むばかりで、前に進もうとしませんでした。

大学を卒業してから、あの時の事を友達と話すと、
「あの時のアナタは相当病んでいた。マジで居なくなっちゃうんじゃないかと思った。」と物凄く心配されていたことが分かりました。

一人で悩んでばかりだと、周りがどうサポートして良いか分かりませんよね。
ものすごく面倒な人間だなぁと思います。

いい加減、自分浸りを辞めたらどうだ事件

私は自分がテキパキ仕事をこなせる有能な人間ではありません。
なのに、社会人5年目ぐらいまで、”自信がないのにプライド高い”という人間でした。

私の中での「プライドが高い人」というのは、人のことを見下す・物事に優劣をつける・自分の考えを人に押し付けるイメージがあったので、人にマウントを取るのは悪だ!と考える私は決してプライドが高い人間ではないだろう、と考えていました。

ですが、内向的ネガティブ気にしぃ人間である私も”実はプライドが高い人間”だったのです。

私の場合は「失敗して恥を晒す人間になりたくない」という気持ちが大きくありました。

そのため、知らない事を正直に知らないと言えず、分からない事を曖昧なままにしてしまう傾向にありました。すると、仕事でミスを連発。同じミスを起こさない為の対策を上司に報告するものの、その仕事で本当に抑えるべきポイントや目的を十分に理解していない為、根本を改善できるような対策になっていないという事がありました。

この文章書いてて、当時の自分は心底仕事が出来ない人間だったなと感じます。

人前で失敗して恥ずかしいと思う気持ちは今でも十分わかりますが、それよりも人に知らない事を聞けずに、ミスを繰り返すほうが何倍も恥ずかしいです。
何より恥ずべき事は、自分のミスで、そのミスを周囲が穴埋めをしなければいけない事なのです。
自分を守ろうとした弱い心のせいで、何も悪くない人たちを巻き込んでしまうのは良くない。

当時の私に言いたい。「いい加減、自分の世界に浸って生きるのは止めろ」と。

気にし過ぎる性格は幼少期の環境が原因?

気にし過ぎる性格は、育った環境が大きく関わっていると思います。
一度、自分の幼少期を振り返ってみると、根本原因が分かるはずです。

私の幼少期は、上の姉2人と常に比較されて育ちました。
父親は育児に参加することはなく、母親1人で私たち3姉妹を育ててくれていたので、恐らくそういった環境が母親のストレスとなったのか、人よりも物事を覚えることに時間のかかる私に対して、

「姉と比べてアナタは勉強が出来ない」
「頭が悪いのは父親から来ているんだ」
「アナタと居るとこっちまで頭が悪くなりそうだ」

母親は私に言い続けました。

どうして私は周囲よりも出来ないことが多いんだろう。
私は小学生の頃から、自分を責めるクセが付いてしまいました。

この頃から”自分は出来が悪い人間”だという自覚が芽生えていたのですが、ある日、決定的な出来事が起きてしまいます。

日ごろ育児に参加していなかった父親が、算数の宿題を見てくれた事がありました。

ですが、いくら説明されても理解できない私に父親は大激怒。
廊下に投げ出された後、「なぜこんな問題も分からないんだ!」と言いながら強烈な壁ドン!!


近くにいた姉が止めに入ってくれた為、その場は何とか収まりましたが、大人になってもあの出来事は脳裏に焼き付いて離れません。

それ以来、分からないことを分からないと言ってしまったら、ひどく怒られるのではないかと思う癖が根強く付いてしまい、人にモノを聞けない性格になってしまいました。

それからと言うもの、
両親に怒られないように、周りに迷惑を掛けないように

自分はどうせ出来ない人間だから、自分から行動するのは止めよう。
周囲の意見に同調してさえずれば、攻撃される事はないだろう。

と、考えることを放棄した人間になっていったのです。

この考え方は、学生の頃までは通用したと思います。

ですが、社会人になるとそうはいかない。
働く事でお給料を貰うようになるので、自ら考え行動する人が実績を上げることができ、周囲から重宝されます。
考える事を放棄した人間は、社会から干されてしまいます。こういった事に20代半ばまでの私は、気付くことができず、”気にし過ぎる”という悪い性質を断ち切れませんでした。

自分を客観的に見る時間を作る

私の迷惑な出来事を見て頂いた通り、気にし過ぎる性格は絶対に直したほうが幸せに生きられます。

私は気にし過ぎる性格をどうやって克服してきたかと言うと、「自分を客観視すること」に尽きます。

客観視するには、周囲の人に意見を聞くことが一番有効的だと思いますが、自分1人でも十分に可能です。その日の自分の行動や思考をノートに書き出し、書き出した内容に対して、何故そのような言動に至ったのか自分自身で突っ込みを入れてみるのです。

そうすることで、私は自分を冷静に見れるようになりました。
ノートに書き出すと自分の嫌な部分が目に見えて分かる為、時には涙しながら、日々を振り返る事もありました。

振り返って、次はもっとこうしようと思ったら、実行に移す。実行に移しても上手くいかなかった時は、周囲に「どうすれば良かったか?」と素直に質問しみる。

そうすることで少しずつ出来ることが増えていき、小さな成功体験を積み重ねることで、自分に自信が付き、幼少期に両親から”出来ない子”扱いされた呪いを徐々に解くことが出来ました。

今では、周囲を気にし過ぎる事はなくなっています。

もし、”自分は気にしぃ人間だな”と思われている方がいれば、ノートに書き出す事から始めてはいかがでしょうか?自分を苦しめている呪いを解くことができるかもしれませんよ!?










コメント

タイトルとURLをコピーしました